当時私はその学校の中では唯一の大学生で、一番若い先生でした。
大学では幼児教育や語学教育とはほど遠い分野を専攻していましたが、子どもが好きだというだけで、日本人だったら誰だって日本語なんて教えられると、一番軽い気持ちで教えていた先生だと思います。
そんなこともあって、今の私の年ぐらいのベテランの先生たちの仲間にはなかなか入れてもらえませんでした。
でも逆に、若いということは子どもたちに一番近い年齢なんだと前向きにとらえようと思いました。
1980年代、その学校で使われていた教科書は、一体いつの時代の?と思うほど古い内容が扱われていました。
ですから、私はひらがなや漢字のフラッシュカードや自分で考えたお話を子どもたちの顔を思い浮かべながら、手書きで作りました。友だちにも「いつも何か作ってるんだね」と言われていました。
あのときに、自分はこういう作業をすることが嫌いな人間ではないということを実感しました。
でも、そのときはまだ、この経験が将来ちゃんとした日本語教育につながる日が来るとは思ってもいませんでした。

